アメリカ人には理解できない「報連相」

2020年2月23日

 

 

日本では、会社に入社したらまず教わるのが「報連相」だと思います。当たり前のものとして受け入れていましたが、アメリカにはこのような「なんでも、すぐに報告する」文化はありません。

アメリカに来て学んだ「日本の当たり前は世界の当たり前じゃない」気づきの一つです。

 

 

日本のユニークな文化「報連相」

 

アメリカに報連相のような考え方や行動基軸はなくて、むしろこれは日本のユニークな文化です。

日本では基本的に何をするにも上司の承認が必要で、それが窮屈な雰囲気を作っている側面があると感じます。仕事に関わる意思決定で報告が必要なのは百歩譲って分かりますが、例えば仕事中1時間ほど用事で出かけて帰ってくると「お前どこいってた?報告しろよ」などと言われることもあります。

日本にいたときは報連相が足りなかったなーと自然に受け入れていましたが今思うと違和感を感じます。

 

アメリカ企業は基本的に「結果を出せばOK」という文化なのでオフィスにいようがいなかろうが、早く帰ろうが、在宅勤務しようが、やるべきことをやっていればそれまでの過程をとやかく言われることはなく、窮屈な雰囲気はないです。

 

例えばあなたが責任者として新たなチーム員を採用するとき、、日本だったらまず上司(課長や部長)と採用する人物像をのすり合わせして、採用計画を報告して、応募状況を報告して、履歴書を上司に見てもらって、候補者との面談後には所感を報告して、、、と様々な報連相に関わる業務が発生します。

一方アメリカでは、採用プロセスなどは自分で考えて、採用したあとに「こういう人を採用しました」と報告すればOKだったりします。もちろん組織やその人の立場にもよりますが、途中経過について逐一報告しなくてはいけないという考えはないです。

私もこっちに来た当初は日本の報連相の感覚で「今作成中の資料の状況はこんな感じで、、」と上司に報告していたのですが、「なんでそんなことおれに言うん?できたら見せて」という雰囲気がプンプン漂っていたのを覚えています。笑

 

 

なぜ報連相が存在するか

 

この報連相のベースになっているのが、日本特有の「承認文化」と思います。日本って社会人だけじゃなくて学生のときから意思決定の際は承認が必要で、例えば小学校で授業中トイレに行くときは、手を上げて「先生トイレ行ってきていいですか」と確認する必要がありました。

アメリカを含め日本以外の国からするとそんなことにも許可が必要なの?と違和感を感じる部分です。

日本では個人よりも組織、個性よりチームワークが優先されることがこの奇妙な承認文化に繋がっています。

 

 

報連相による弊害

 

報連相って部下の状況が理解できて組織としては一見メリットが大きい気もしますが、従業員目線ではそれがストレスフルな環境に繋がっていることが多いです。

自身で意思決定できないという窮屈さに加えて、報連相という「ルール」が存在していることによって、上司は部下から報告がないとき「報連相(ルール)を守れよ」と怒ればOKという状況になりかねません。

上司は部下に歩みよる努力をしなくても怒って報告させる、つまり部下を詰めることでマネジメントすることが可能になり、情報交換ができていないことの原因を部下に押し付けることができてしまいます。

アメリカで働いていて感じるのは、日本よりも圧倒的に上司と部下の関係性がフラットで、上司は部下との人間関係を作りながら、きちんと状況をアップデートしてもらう努力をしているということです。

日本企業のような上下関係の中での行き過ぎた報連相は従業員にとってデメリットが大きいです。

 

 

最後に

 

以上、アメリカに来て感じた報連相への違和感についてでした。大事なことは、日本の文化が当たり前じゃないことを認識して、(特にグローバルで働く上では)他人に求めすぎないことかなと思います。

 

また、すでにアメリカではリモートワークが普及したことによって作業進捗の確認もオンラインで行う環境が整っていて、報告も「効率的」かつ「対面からオンライン」へと変化しています。

(こっちでは従業員のタスク、進捗中のプロジェクト、作成中の資料がすべてオンライン管理されていて、上司はいつでも部下の状況が確認可能です)

 

日本流のきめ細やかな報連相も、グローバルな視点やテクノロジーの導入によって形を変えていくべきと思うので、どこが最適解なのか引き続き考察していければと思います。