【アメリカにきて感じた】日本のみんな平等”すぎる”文化

2019年10月28日

 

 

日本で生まれ育った私ですが、アメリカ企業に勤めて現地の生活に馴染めば馴染むほど、日本って住みづらいなー働きづらいなーと感じるようになりました。

駐在から1年たった今、日本は多少恋しいですが、このまま日本に帰って日本の会社で働きたいかと言われると、、、という感じです。

 

その大きな理由の一つが日本の「みんな平等すぎる」文化です。

 

みんな平等というと聞こえはいいですが、「足を引っ張る」「出る杭は打たれる」文化にも繋がっています。

 

少なくともアメリカではこういった「目立っているやつを叩く」ネガティブなパワーはかなり低いです。

 

前にもいくつか記事を書いていますが、まずは日本の常識が世界の常識ではないということを認識して、その上で日本に依存せずグローバルに働ける語学力、スキルが身につけられれば人生豊かになるかなと思っています。

 

「みんな平等文化」について、アメリカとの違いを中心にまとめたいと思います。

 

 

原因① 教育の違い

 

こういった文化の違いはいろんな原因があって考えても考えきれないですが、やはり一番大きな違いは教育の違いにあります。

 

日本の教育ってルールを守って、集団の中で人に迷惑をかけないことに重きが置かれていますよね。

私は小学生のときかなり落ち着きがなかったタイプでしたが「なぜみんなと同じようにできないんだ」と何度も怒られたのを覚えています。

 

ご存知の通り、アメリカは正反対で個性を伸ばすことに重きが置かれています。

小学校では教科書に沿って1ページずつ進んでいくという授業がほとんどなく、生徒がいつでも自由に発言していくスタイルですし、授業中だろうが教室をでていく生徒が平気でいます。大人も子供に対して、叱って言うことを聞かせるのではなく、できたら褒めるというのが中心です。

 

もちろん良し悪しあると思うのですが、子供のころから「みんなと同じ」「個性を伸ばす」という違いが明確にあります。

 

 

原因② 住む環境、働く環境

 

東京に長く住んでいたから感じることかもしれませんが、狭いエリアに肩を寄せ合って生活していることも影響しているように思います。

下の写真は私が現在住んでいる近くのエリアで、割と一般的なタイプのアメリカの家です。

どの家もゆったりとしたスペースがあり、周りへの気遣いレベルは日本に比べてかなり低く済みます。

 

またオフィス環境を比較しても、東京オフィスは人が溢れていて、仕切りもなくすぐ隣が同僚、という感じでしたが、現在勤めているアメリカの企業はそれぞれの席がブースになっており、十分なパーソナルスペースが確保されています。

部署によってはフリーアドレス制を導入しているところもありますが、日本のようにきちきちしておらず非常に働きやすいです。(下の写真は私が勤めるオフィス)

かつ集中したいときは個室になっている集中作業スペースも準備されています。

 

窮屈な住環境、職場環境の中で、周りに気遣いが求められ、他人を必要以上に気にしてしまう文化、みんな同じでいなくてはならない文化が助長されているように感じます。

 

 

こういったみんな平等の文化がどういったところで現れるか挙げてみたいと思います。

 

 

休暇が取りづらい

 

いくら制度を整えても休暇を自由に取りづらい日本の文化は「あいつだけずるい」「楽をしている」と思われるのではないか、というのが大きい思います。

こっちにいると余裕でみんな休暇を消化しますが、誰もそれに対してネガティブな感情を持ったず、仕事をしてくれればオッケーという考え方が強いです。

日本だとそういうわけにはいきませんよね、、仕事が終わってようが周りからの目が気になって気兼ねなく休むというのが難しい会社も多いのではないかなと思います。

 

 

フレキシブルに働きづらい

 

休暇だけでなくリモートワークや時短勤務など、フレキシブルな働き方がなかなか実現しないのもこのみんな平等の感覚によるものが大きいです。

仕事のアウトプットではなくいかに”頑張ったか”を評価する雰囲気があるため、仮に家でリラックスしていい成果物が出せても、目の前で苦労しながら一生懸命やっていることが重視される傾向にあります。

これは特におじさん世代がネックになっていると思っていて、どっかで「自分たちが苦労したから若い世代も苦労しなくてはいけない」という考え方があるように感じます。

 

 

実力に応じて給与が上がらない

 

最近日本でもAIエンジニアに高い給与を出したり一部変わりつつありますが、みんな平等の中では実力にもとづく給与制度を適用するのは難しいです。

社会主義の国が経済生産性を上げづらいのと同様に、これからますます日系企業のグローバルな競争力は下がってしまうのではないかなと感じます。結果を出さなくても普通にやれば給料が上がっていくので。

また優秀人材の確保という意味でも、高い能力を持つ人材はより実力に伴った給料をもらえる外資企業に行く流れが進むでしょうし、日本企業このままで大丈夫か?と個人的には思ったりしています。

 

 

総合職制度の闇

 

上とも関連しますが、日本の総合職制度ってデメリットが大きすぎるように感じます。

「あらゆる業務を経験させて、幅広いスキルを身につけることで将来の経営幹部候補を作る」のは本来一部の人だけでよくて、みんな平等にそうする必要はないはずです。

会社として高い専門性をもつ人材が減るだけでなくて、2-3年で異動してしまう環境の中では目先の業績を上げるためだけの戦略がとられてしまいがちです。

 

アメリカでは入社してからずっと同じ業務の人がざらにいて、それぞれの専門性がかなり高いです。総合職的に部署異動している人もいますが、キャリアはあくまで自身が希望して作っていくもので、会社から定期的に(強制的に)動かされるような仕組みはないです。

 

それぞれの領域に特化した人材を、フレキシブルな給与体系の中で育てていく必要があるのではないかとこっちで働いていると強く感じます。

 

 

人前で意見が言いづらい

 

制度的な話だけではなく社内雰囲気にもいろんな影響があって、例えば日本って会議で発言しない人が多いとよく言われますよね。これってもちろん個性の問題もあるとは思うんですが、環境の問題が大きいと個人的に思います。

日本で、例えば社内プレゼンをすると、「どうしたらよりより良い内容になるか」という建設的なコメントよりも、圧倒的に「本当にそれってできるの?」とか「根拠は?」など、実現可能性や細かい指摘ばかりついてくる人が多いように思います。

 

また発言するからには正しいことを言わないといけない、間違えたら恥ずかしい文化がどっかでありますよね、、こういうのネガティブなパワーも「出る杭は打たれる」文化による影響が少なからずあると感じます。

 

 

まとめ

 

ネガティブなことばかり書きましたが、みんな平等の感覚にはもちろんいい面もあります。

みんな平等は言い方を変えれば「助け合いの精神」で、誰かが困っているときには助けてあげようという意識が強いですし、困ったときの仲間意識は世界の中でも高いと思います。

 

実際アメリカ企業にいるといい意味でも悪い意味でもほったらかしにされます。例えばミーティングに参加しても外国人だからとって誰かがフォローしてくれることもないですし、話を合わせて発言の場面を作るみたいなこともありません

日常生活でもモタモタしていたらどんどん先を越されるし、アメリカではよくも悪くも主張する必要があります。

足を引っ張る文化こそないものの、社会保障制度とかを含めて(アメリカは国民皆保険制度ではないです)、格差が広がっていく構造にはあります。

 

 

「平均点くらいに集中する(させられる)日本」というのは人によって居心地よく感じる人も、そうでない人もいると思います。私は後者かなと。。

日本に住んでいてなんとなくストレスあるなーと感じる方は、英語を勉強するなりして海外で働いてみるというのも一つの方法かなと思います。